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かりゆしウェアとアロハシャツ

世間では6月1日は衣替えの日となっていて制服なども夏服に替わりますが、沖縄の衣替えは一応ひと月早い5月1日となっています。(冬服は11月1日)

制服以外の沖縄での夏服は、かりゆしウェアが一般的になっています。これほどクールビズが普及している地域も他にないのではないでしょうか。


かりゆしウェアとは、沖縄県で着用される半袖の開襟シャツのことで、その歴史はまだ新しいです。1970年に沖縄県観光連盟が「おきなわシャツ」として発売し、2000年にデザインの限定を緩和することで、名称を「かりゆしウェア」に統一したもので、同年に開催された沖縄サミットを契機に広く着られるようになりました。当時の各国首脳が万国津梁館で涼しげに着用していた記憶も残っています。(森首相は似合ってなかったけど)

現在ではワイシャツとネクタイに代わるホワイトカラーの服装として沖縄県内では通年着用されるくらい定着していて、2005年以降にはクールビズの一種として、内閣府沖縄担当部局を中心に中央官庁での着用も拡がっています。「かりゆし」は嘉利吉と書き、沖縄方言で「めでたい」という意味を表します。結婚式の乾杯の時に「嘉利―!」っていうことも普通ですね。


かりゆしウェアはアロハシャツを参考に作成されており、基本的なデザインはアロハシャツと同じ半袖開襟でありますが、若い人はボタンダウンを選んだり、偉い人が公式の場で着るかりゆしはスタンドカラーだったりもします。そもそもアロハシャツは、ハワイに渡った日系移民が着物をシャツに仕立て直したものが起源とされ、1930年代には日系人や中国系の仕立屋によって盛んに作られ、1935年には日系人経営のムサシヤが初めて「アロハシャツ」名の広告を出したと言われています。アロハシャツは、日本から輸入された生地が使われたため、当初は和柄が多く見られましたが、やがて洋柄化が進み1940年頃までには、トロピカルなモチーフを使い華やかでカラフルな色彩で染めたものが主流となったということです。アロハシャツも元来日本人と深く関係していたのですね。


かりゆしは左胸には通常ポケットがつき、裾はズボンから出して着ることを想定して短く直線的にカットされているのが普通です。柄は沖縄の伝統工芸の織物を模したミンサーや紅型が公式のかりゆしウェアとされますが、ゴーヤーやシークヮーサー、ハイビスカスなど沖縄独特の風物をモチーフにしたデザインも多く、正直アロハシャツとの違いは分かりません。私は沖縄製のものをかりゆし、ハワイ製のものをアロハシャツと勝手に解釈しています。今では多くのバリエーションが生まれ、日焼けを気にする女性用の七分丈のもの、葬祭の場で着用できる黒を基調としたフォーマルなものなどもあります。


価格は千円前後の量産品から、知事が来ている芭蕉布や琉球紬などを利用した一着数万円の高級品まで様々です。ビジネスマンは比較的高級なPAIKAJIを筆頭に、MANGO HOUSEや月桃物語とか着たりします。最近ではポロシャツ生地をかりゆしっぽい柄にして「ポロゆし」とかいう強引な派生品もあります。喪服として黒生地のものもありますが、あれもかりゆしっていうんですかね。葬儀や法事で嘉利吉はさすがにマズい気がします。


かりゆしの歴史を調べてみました。

1970年に社団法人沖縄県観光連盟会長の宮里定三の発案により、観光沖縄をPRするために沖縄シャツの名称で発売されたことに端を発する[3]。その後2度のオイルショック時などに普及を図ったが、当初は柄が紅型や八重山ミンサーといった伝統工芸をモチーフにした柄のものに限られバリエーションに乏しく、着用は沖縄県ホテル組合や旅行社・ツアーコンダクターなどの観光関係者にとどまった。

1980年、沖縄県観光開発公社が「おきなわウェア」を発売。

1990年3月、「めんそーれ沖縄県民運動推進大会」において、推奨基準とその名称を広く県民から募集することを決定。5月に沖縄タイムスやその他広報媒体で名称を募集。審査会にて名称を「かりゆしウェア」に決定。カジュアル・フライデーなどでの着用が推進された結果、徐々に官公庁などでの着用が広まるようになり、2000年の九州・沖縄サミットで各国首脳が着用し、その際に定義が現在のものに変更され、バリエーションの幅が広がったことなどを契機に官公庁・銀行ほか一般企業でも広く普及するようになった。沖縄県衣類縫製工業組合の調べでは2004年の出荷枚数は31万枚を数えている。

2005年、環境省や経済産業省が中心となって「夏の軽装」運動を実施する際に、環境大臣の小池百合子が沖縄・北方担当大臣を兼務していたこともあり、かりゆしウェアがクール・ビズの取り組みの一環として推進されることになった。推進期間開始の6月1日には内閣府沖縄振興局などで多くの職員が着用したほか、小泉純一郎首相が着用した(小泉純一郎は2003年に沖縄県で開催された太平洋・島サミットですでに着用の経験があった)。

現在沖縄県では4月から11月までをかりゆしウェア着用推進期間とし、期間中は知事を筆頭に地方自治体の大部分でかりゆしウェアが着用されている。また、沖縄県議会が1999年9月議会から議場内での着用を容認し、現在では大部分の議員が着用するなど地方議会でも着用が進んでいる。郵便局や日本トランスオーシャン航空などでは独自の柄のものを夏の制服として採用している。県外企業の沖縄支社などでも、カジュアル・フライデーに着用するなどの動きがある。

またNHK沖縄放送局では、2006年4月にスタートした平日夕方のニュース番組『ハイサイ!てれびすかす』において同年6月~10月の期間、原則としてキャスター・リポーターは全員かりゆしウェアを着用して出演した。この活動が評価され、同局は「かりゆしウェアの普及に貢献した」として表彰された。全国ネット番組でもTBS系『筑紫哲也 NEWS23』にてメインキャスターの筑紫哲也が、2004年・2005年の夏季に着用して出演したことがある。

スポーツ界ではバスケットボールの琉球ゴールデンキングスのスタッフが試合時に着用している。

政府は2009年6月にクールビズの一環として閣議で閣僚全員かりゆしウェアを着用している。また、自民党議員も同じく着用していたが細田博之がシャツインのスタイルで登場したため小池百合子は終始不機嫌であったとされる(ハワイにおけるアロハシャツとは異なり、かりゆしウェアはシャツをズボンの外に出して着るのが通例である)。

2017年6月1日にミス沖縄の県民女性らと官邸を訪れた翁長雄志知事から沖縄の夏の正装として「かりゆしウェア」が安倍晋三首相と菅義偉官房長官に手渡された[5]。 2017年6月2日の閣議には安倍首相と閣僚である各大臣らが翁長知事に贈ってもらった「かりゆしウェア」を着用して臨んでいる[6]。


とあります。私は小泉元首相が着ていたイメージが強く残っていますが、すごく似合っていたからだと思います。羽田元首相が血迷って発表した「省エネスーツ」(スーツのジャケットの袖を切ったもの)っていうのもありましたが、あれが普及していたら今の日本はなかったでしょう。


「かりゆしウェア」は沖縄県工業連合会の商標登録で、ブランド名の使用にあたっては連合会の委託を受けた沖縄県衣類縫製品工業組合が認定をしなければその名称は使えません。

認定にあたっては、沖縄県内で縫製されたもの(布地は県外で生産されたものでも良い)や沖縄観光をPRする柄のものなど規定がいくつかあるようです。


ところで「かりゆしウェア」は沖縄が成功した数少ないブランディングじゃないでしょうか。アロハシャツは世界的に夏服として普及していて、所ジョージとかが着ているビンテージ物をコレクションするマニアも多く、一つのジャンルとして確立されています。かりゆしウェアもそのくらい可能性を秘めているのではないでしょうか。学生服をかりゆしにしたり、女性ものをもっと可愛くオシャレに開発したり、ポテンシャルは計り知れないと思います。議論はあると思いますが、個人的には無地だったりワンポイントなんかがあってもいいと思います。「お洒落」なかりゆしはまだまだ少ないですが、マルジェラやコムデギャルソンなんかとコラボしたら一気に爆発するんじゃないでしょうか。

県に提案してみようと思います。

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