オヤジ人魚と白保の海

自分と沖縄の出会いは今から30年前、9月の石垣島だった。

東京で勤めていた会社が急に2週間ほど休暇をくれることになり、プーケットやダナンとかに行きたいと職場近くの旅行代理店に相談すると、男性1人なら沖縄の離島がお勧めと言われた。

当時沖縄にはあまり興味がなく、休暇があれば海外に行っていたが、急なこともあったし、当時よく読んでいた椎名誠が白保の海を絶賛していたので、石垣島、それも白保近くの民宿に2週間滞在することに決めた。


その民宿は1階が食堂になっていて、朝食と夕食もそこで食べるのだが、当時で2食付きで5,000円と安いわりに食事は豪華だった。キープした泡盛の一升瓶をチビチビ飲みながら、緑色の皮が付いた刺身や、パパイヤの炒め物、島ラッキョウなんかが毎日出たが、特に美味しかったのがアダンの実だった。また、コーレーグースに浸した島唐辛子を潰して刺身と食べると、どんな魚も美味しかった。


2週間も滞在していると、他の客の顔ぶれもどんどん変わるのだが、そこには地元の海人も夜な夜な現れた。その日は女子大生の4人組が夕食を食べていると、海人が「ネーネー達、明日サバニでサンゴを見に行くかい?」と誘っていた。会話にも入らず、相変わらず島ラッキョウを肴にチビチビ飲んで「明日も浜辺で1日中、本を読もう」と1人で考えていると、「そこのニーニー、シマ(酒)ばっかり飲んでないで、どうね、行くねー。」と自分にも声を掛けてきた。「うっ」と思った。実はここだけの話、自分は泳げなかった。厳密に言うと、泳げることは泳げるのだが、息継ぎが出来ない。25m息継ぎなしで何とか泳げるくらいで、中学時代50m自由形大会などがあると、見栄っ張りで途中で立つことが出来ない自分は前日に死を覚悟したものだ。


しかし女子大生の手前、沖縄に1人で来ているのに「泳げない」などと言えるはずもなく、答えあぐねていると、「20mくらいの深さで流れが速いところだけど、サンゴが白保で一番きれいな場所に案内するよ。ニーニーは泳ぎ上手そうだから行くよね。」などと追い打ちを掛けてくる。女子大生にはタダで連れてってあげる、と言っていたくせに、自分には「1万円でいいからねー」とか挑発すらしてくるので、断るに断れずに結局行くことになった。


翌朝海に行くと、エンジンはついていたが、まさにサバニで沖まで連れられて行った。決死の自分の顔はおそらく青ざめていたはずだ。スポットにつくと「流れが速いからネーネー達はこれ着けて」とライフジャケットが支給されたが、ワタクシの分はないようだ。「さー、ニーニー、カッコいいところ見せてさー。」という言葉で覚悟を決めた。そーっと海に入ると悲鳴を上げたくなるほど水温が低かった。下を見ると、海底が深くて見えないのがとても恐ろしかった。息継ぎも立ち泳ぎも出来ないので、苦しくなって仰向けで浮いていると海人が、「サンゴ見に来たのに空見てどーすんねー」と突っ込んでくる。すると、「あれ、シュノーケルないのか、ほれ、これ付けなっ」とシュノーケルとフィンを貸してくれた。そんなもの付けても泳げないものは泳げない、と思っていたが、これまたビックリ、顔を付けたまま息が出来るではないの。


恥ずかしい話、ウィンタースポーツや登山一辺倒でマリンスポーツなど全く興味がなかったので、シュノーケルもフィンもダイバーがつけるのかと思っていたが、付けて泳ぐと人魚にでもなった気がした。すぐに耳抜きも憶えて10メートルほどなら潜れるようになると、海中で光を放つサンゴの美しさに心を奪われた。すぐにその日の午後に街でシュノーケルセットを購入して、それから毎日白保や離島の海岸で1日中泳いでいた。サンゴだけでなく様々な魚と泳ぐと一気に世界が拡がった気がした。それからことあるごとに慶良間や八重山の海を旅していると、運よく沖縄に設立される会社への誘いがあった。迷わずそれまでの会社を辞めて、沖縄に住んだ。


それから20年、海との関り方は泳ぎから釣りへと変わったが、夏が来るとあの運命的な沖縄の海との出会いを思い出す。





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