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京都にて

2022年12月26日

大阪は好きな街の一つだ。一人で飲食店に入っても気張らないでいいし、気さくに話しかけてくれるので、仕事でもプライベートでも毎回楽しみだ。

それに引き換え京都ではいい思い出がない。と言うより悪い思い出の方が多い。嫌いな街、になりつつあった。


もう何年も前になるが、3軒目に祇園の小料理屋に入ってビールと鯖寿司を頼んだ。他に客はいないので、カウンターに座りビールをチビチビ飲んでいるが、特にお店の人が話しかけてくるという事はない。地元客ではない、というのは言葉で分かるはずだ。大阪だったら「ご出張ではりますか?」とか「今日はよう冷えますね」とか自然に会話が生まれるのだが、この店に限らず京都ではお店の人から話しかけてくるのは稀だ。(個人の経験です)


カウンターの向こうには女将と女性スタッフがいるのだが、「いや、沖縄から来てねー」とか自分で言うのも何だし、お店に変な緊迫感があって、とても居心地が悪い。店が忙しいわけもなく、カウンターの向こう側に立っているだけで、一切話掛けてこないので、明らかに歓迎されていないと思い、20分くらいで出てきてしまった。


別の時だが、二条城近くの寿司屋に入ったのは午後2時過ぎだったであろうか。まだ暖簾が掛かっていたが、店に入ると他に客はいない。オヤジが1人で奥から面倒そうに出てきて、ちらし寿司を無言で作り出したが、観光客なんて珍しくないのか、話かけてくることはない。「いやー、実は沖縄から来てねえ」と自分でいうもの憚られるので、会計の時に2千円札2枚を出すと2度見はしたものの、黙って会計となる。これが大阪だと「へーっ、2千円札でっか、久しぶりに見ましたわ、へー」となるのだ。


さらに別の時だが京都市役所に近い割烹では、ガラ空きの店舗で個室に通された。連れがメニューのお品書きの一つを読み間違えて注文すると、厨房から「XXだってよー」と笑い声が聞こえる。また別の時は、予約していた烏丸の小料理屋に、空いていたら早く入店していいか、と電話で聞くと「大丈夫」というので早く行くと、ほどなくして他に客もいなくなり(夜9時頃。予約していたのは9時半。)、カウンターの目の前で玉子焼き機をコンロで焼いたり、まな板を漂白したりで、早くも帰れモードとなった。予約通り9時半に来ていたらどうなったのか。


京都は日本有数の観光地であり、日本の伝統文化が根付いている。黙っていても観光客が押し寄せるので、今一つ「歓迎」という気持ちが感じられないことが多かった。(個人の感想です)

奈良なんて行くと、「えー、すっごーい、沖縄から来たんですかあ。私、沖縄大好きなんです。えー、何でわざわざ奈良に来たんですかあ。」って感じだ。驕りやプライドの欠片もない、居心地のいい街だ。

 

それが今月3年ぶりに京都に行って、少し驚いてしまった。なかなかにいい距離感の接客をするのだ。相変わらず積極的に話しかけてくることはないが、「あんた、何しに来たんどすか」的な排他的な雰囲気が薄れたのだ。接客が良くなると、もともとお洒落で美味しい店の多い京都だ。仕事でも観光でも居心地のいい街となる。


路線バスに乗ったが、心底感動してしまった。「次は堀川三条です、降りる方は完全に止まるまでそのままでいて下さいねー。はい、これから少しずつブレーキ踏んでいきます。はい、降りる方、焦らないでいいですからね。はい、出発します。アクセル踏みますねー。はい、左に曲がります、ハンドル切りますよー、左に切ってます、はい、ハンドル戻しますー。」ってまるで運転の実況中継なのだ。もちろん乗客の安全のためなのだが、元来運転の荒い京都で、コロナ前にこういう気遣いはなかったと思う。コロナで観光客が少なくなったから観光客に歩み寄るようになったのか、重大な事故から注意喚起するようになったのか分からないが、京都が好きになった。

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