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春の思い出

2023年3月22日

春が来て気温が緩むとスキー場もそろそろシーズンオフを迎える。しかし降雪量が多いスキー場は、GWまで滑れるところもあり、春スキーのシーズンオンとなる。春スキーは楽しい。春になると晴天が多くなり、雪質は重くなるが陽光に光るシャリシャリした雪を削って滑るのが爽快だ。スキー場は雪国にあるので、当たり前だが冬場は積雪の日が多い。すなわち悪天候の中を滑らねばならず、視界も悪いし寒いしで、状況はまさにユーミンの「BLIZZARD」なのだが、そんなロマンチックなはずもなく、むしろ気分は下がりがちだ。天候次第では苦行になることもある。


ところが春スキーは違う。自分は志賀・焼額山が好きなのだが、山頂付近でのんびり日を浴びながら仲間と春の陽光を浴びながらザックに忍ばせたシャンパンを回し飲み、下界の景色を眺めていると滑ることなんてどうでもよくなってしまう。


いつだったか、ある時は午後には本格的に飲むために長野市内に下りて、蕎麦屋で山菜を摘まみながら日本酒を飲んでいると、連れが「あといくら持っている?」と聞く。カードは持っていたが、蕎麦屋でカードが使える時代でもなく、夜に現金を引き出せる時代でもなく、「2000円くらいかな」と答えると、連れは3000円くらいだという。いつも行き当たりばったりで、泊まりはテントだし、リフト券すらケチって徒歩で山頂まで登るくらいの貧乏旅行だ。昼になればATMから僅かなお金を引き出せるが、その時はそろそろ蕎麦屋も閉店でお金も引き出せない時間だったはずだ。もう数えきれないくらいお銚子を開けて、会計は5000円どころではない。正直に店主に「お金がないので明日持ってきます」と言ったが、怒ることもなく、住所を聞くでもなく、呆れながらもすんなり聞き入れてくれた。お詫びにと、自分たちが使った皿やお銚子などは洗い場を借りて洗った。


その日は人気のない善光寺の参道の空き地にテントを張り、意外な寒さに震えながら眠ると、翌日は喧騒の中で起きた。昼は参拝客で賑わう参道にテントを張ったので、みんな邪魔そうに避けながら歩いている。テントから恥ずかしくて出られなくなってしまった。テントと言っても屋根があるだけのツェルトテントで床がないので、そのまま連れと支柱を持ってテントに上半身を隠しながら移動すると参道に笑い声が起きた。人気のないところまで移動し、昼を待って昨日の蕎麦屋にお金を払いに行くと、何故かいたく感心した店主から確か「雲山」という日本酒の一升瓶を頂いてしまった。


感動しつつも長野市を離れ、五竜遠見や八方を滑りながら移動して、さらに日本海側に出て富山の宇奈月からトロッコ電車に乗って黒部川上流の鐘釣にテントを張った。傍の河川敷を掘ると湧いてくる温泉に浸かる。しかし素手で深く掘れるはずもなく、下半身がようやく浸かれるくらいの温泉に寝そべっていると、次の列車で降りてきた婦人会と思わしき団体が、野人(私たち)に驚きながらも嬌声を上げて我々を背景に記念撮影を撮っている。仕方ないので我々も岩に腰掛けロダンの「考える人」のポーズでキメる。


その日は掘った温泉溜まりの上にテントを張り、付近で採取したタラの芽や蕨やゼンマイなどの山菜を温泉で茹でて(川の水と混ぜないとすごく熱い)食べながら、長野の蕎麦屋で頂いた日本酒を瓶ごと温泉で温めて飲んだ。黒い山の稜線に迫る狭い空を見上げると、プラネタリウムのような無数の星が降ってくる。温泉が布団代わりだ。


次の日は飛騨高山に移動し、ほおのき平で少しだけ滑って、今度はしっかりお金を持って高山市内の居酒屋に入った。その店は古民家を改装したらしく、天井が高くて立派な梁が煤で黒光している。名物の漬物のステーキや朴葉味噌で地元の人と久寿玉を深夜まで飲み、宮川沿いにテントを張って寝ると、翌朝はまた朝市一の喧騒に起こされる。もう恥ずかしくなかった。奥飛騨に移動し、村営の公衆浴場に入ると露天風呂を掃除したばかりなのか、10cmくらいしかお湯が張られていない。そのお湯を求めて観光客や地元の人が数十名入るモノだから、10リットルくらいのお湯が腰くらいまでは満ちてきた。


今は便利グッズを駆使したキャンピングや車中泊の全盛期だが、春になると真っ先に、あのキャンプな日々を思い出す。

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