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通勤ラッシュとスリッパ男

2023年4月11日

かつての同僚と飲むと、必ず話題に出る「武勇伝」がある。実際は武勇伝などではなく、単なる「失敗談」なのだが時間が経つと美化されるのは昔話の常だ。


時は1996年くらいだろうか。恵比寿に鳴り物入りで開業した「恵比寿ガーデンプレイス」(以下YGP)に事務所が移転し、毎日颯爽と恵比寿駅からYGPに向けて動く歩道を闊歩して通勤していた頃だ。輸入業務を担当していた自分は、所属部署の関係で柏市にあった倉庫に棚卸や打ち合わせに行くことが頻繁にあった。柏駅からバスに乗る郊外にその倉庫はあったが、帰りに上司に連れられて柏駅前にある居酒屋で飲むことが楽しみの一つだった。その居酒屋は「鮨茶屋」と名乗っており、寿司や寿司屋の料理が名物で、当時の自分としては贅沢な店だった。新人の頃から意味もなく偉そうで上司にも気を遣われていた自分は、酒の席でも上司を上回る暴れっぷりで、会社の経費であれば底なしに飲んだ。


しかしその日は体調が思わしくなく、宴席の途中で外の空気を吸いに行く有様だった。駅の歩道橋の階段に座って寝てしまったらしく、気が付くと駅前の喧騒もなく人通りもまばらになっていた。急いで店に戻ったが、すでに閉まっていて真っ暗だった。カバンもコートもジャケットも靴も店に置きっぱなしで、足元はスリッパだ。かなり寒かった時期のはずだ。奇跡的にポケットにタバコの釣り銭が入っていて、柏駅から常磐線の最終に乗ることが出来た。


結局自宅のある田園都市線の宮前平駅までは辿り着けず、渋谷駅で一夜を過ごすことになった。考えてみれば家の鍵もカバンの中だ。全くお金もなかったので、ホテルやサウナで一夜を明かすことも出来ず、じっとしてると凍えそうなので、身体を温めるために渋谷駅周辺を何時間も歩いた。酔って彷徨ってズタボロでもう歩くことが出来ずに駅で蹲っていると、怪しげなオジサンが家で休んでいきなさい、と声を掛けてくる。さすがにそれも恐ろしく、また付近を彷徨いながらお金が落ちていないか自動販売機を触って歩く自分はホームレスそのモノだったはずだ。事実段ボールを拾ってマントのように羽織っていた。宮下公園で夜が白み始めると、ようやく安堵と疲れで公園のベンチで段ボールに包まって寝ることが出来た。


付近が通勤客で慌ただしくなると、自分も渋谷駅から恵比寿の会社に歩いて出勤することにした。段ボールのコートとスリッパと拾った傘を杖代わりにして、恵比寿駅につくとちょうど通勤ラッシュにぶつかった。もはや思考回路がゼロとなった自分は、例の「動く歩道」を草刈民雄の「復活の日」のようにフラフラ移動している姿を多くの同僚や上司に見られていたことに気が付くこともなく、事務所につくとデスクに崩れ落ちた。そこに追い打ちを掛けるように上司から「なぜ昨夜はバックレた?」、「一人でキャバクラでも行ったんだろう?」などと詰問され、経緯を話すと次は人事に呼ばれたりもした。身なりに厳しい会社だったので、「WC」と書かれたスリッパに段ボールコートが社内でも話題になっていたらしい。


そんなこんなで同僚がカバンとコートを持ってきてくれたのはいいが、何故か靴とジャケットは店に置いてきたらしく、その日は終日オフィスをスリッパで過ごさなければならなかった。一流ブランドの会社だったので、そのズタボロの様相はむしろ伝説のように語り継がれ、事あるごとに「スリッパ男WC」と呼ばれたりもした。


自分でも驚くべきは、その頃と今の酒の飲み方があまり変わっていないことだ。

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