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スマホやSNSで人は幸せになったのか

2023年7月15日

色々議論があるとは思うが、スマホ(携帯電話)がない昭和から平成に掛けての時代と、スマホやSNSが当たり前になった平成から令和を比較して、どちらがいいのかとよく考えることがある。人それぞれではあろう。年代や環境によっても違うであろう。あくまで自分自身に限定して考えてみたことである。

 

便利になったことは確かにある。ネットバンクやECなど、銀行や店に行かなくても用を足せるようになった。しかしスマホがない時代にそれらが特に億劫だと感じた事もない。リアルのショッピングは楽しいものだし、窓口でバンカーと話すことも特段面倒ではなかった。しかし一度便利さを味わってしまうと、元には中々戻れないものだ。携帯やスマホがない時代は休日に仕事をすることはなかった。もし仕事をするのであれば、休日出勤していた。たとえそれが電話1本の案件であってもだ。今の人はバカバカしいと思うだろう。しかしそれが当たり前の時代だった

 

他にも便利になったことは沢山ある。メールを送ることで時間や相手の都合を考えて電話することも少なくなったし、為替レートも一瞬で調べられる。読書も出来るしゲームも片手で出来る。重いカメラを持つことなく綺麗な写真を取れるようになったし、現像やプリントをする必要もない。

 

しかしそれらの便利さがなくても特段生きていく上で重要なことではないことばかりである。使いこなせてないだけであろうが、だからこそスマホで万人がよりよい生活を送れるわけではないと思う。意志の問題だとは思うが、逆にスマホを漠然と眺めていて無駄な時間が過ぎていくことも多くなった。目も悪くなった気がする。

 

スマホがない時代はどうだっただろう。待ち合わせ時間をキッチリ決め、全員揃ってから目的地に行ったりしていた。来ない人がいると、駅の伝言板や公衆電話の伝言ダイヤルでメッセージを残したりした。スマホなどマンガの世界の時代だったので、それが不便だとは思わなかった。休日に仕事のことも考えることは少なかった。メールのチェックなどする必要はないので、休日は全力で遊んで平日はしっかり働いた。ECで買い物することもないので無駄な出費も少なかったが、販売員にのせられてたまに身の丈に合わない買い物をしたりもした。

 

SNSの方はどうだろうか。「一般」市民が小さな生活の出来事を発信できるし、企業も多大な宣伝広告費を費やさなくても情報を発信出来るようになった。一方で無責任でいい加減な情報や、誹謗中傷を匿名で放つことが出来、人を傷つけ追い詰めたりしている。使い方次第で凶器にもなっていて、SNSに悩まされている人も多いと思う。

 

昔は良かったというつもりはないが、昔は不便で不幸せだったとは全く思わない。言えることはスマホやSNS、DXやAIによって人々は進化はしていないということだ。もし進化していると感じているとすれば、それは錯覚ではないだろうか。間違っていて欲しいが、むしろ退化している、ということはないだろうか。

 

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