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工芸品のある生活

2023年10月22日

ロジスティーダジャパンの新ビジネス、canosaの店舗が開店して早3か月が経過しました。canosaでは沖縄はもちろん、全国から集めた工芸品を販売しています。工芸品というと敷居高く感じますが、canosaでは「伝統工芸」ではなく、美術品でもなく、現代の生活にフィットした「新しい工芸品」を展開していきたいと思っています。

 

昔から旅行や登山が好きでしたが、旅行や登山そのものよりも「旅行を計画すること」が好きだったような気がします。地図を見て「まだ見ぬ土地」を想像し、それが想像通りだったかの確認作業が自分にとっての旅だったのかも知れません。しかし大抵の場合はその「想像」を裏切られます。気象条件や自分の気分、時間帯によっても風景の見え方が変わってきます。それが楽しかったも知れません。


一方で、人間が生み出すその土地その土地の「モノ」を見ることも知ることも大好きですが、観光地の名所旧跡や神社仏閣を見学するより、「地場産業」に触れることに充実感を覚えます。大学で地理を専攻したのも、その土地の歴史と気候と文化が生み出す地場産業(すなわち地誌学)に興味があったからで、今でもそれは変わっていません。遅ればせながらcanosaを始めたのもそういう理由からです。


ちなみに地場産業とは、特定の地域の事業主(主に中小企業)が、その地域の技術労働力原材料などの経営資源をもとに特定の産物をつくり、発展してきた産業のことで、燕三条(新潟県三条市、燕市)の金属加工品や鯖江(福井県鯖江市)の眼鏡、今治タオル(愛媛県今治市)、豊岡市の鞄(兵庫県豊岡市)、群馬県桐生市の繊維加工業など国内各地域に点在しており、衰退しているものもありますが、時代と共に変化しながらも続いているものも多くあります。伝統工芸産業は一般的には地場産業に含まれるものですが、

定義として

①熟練した技が必要 ②手工業である ③日常生活で使われている ④代々長い歴史がある


が備わっていることで、京都の西陣織、岩手の南部鉄器、青森の津軽塗を始め全国で240品目あります。もちろん沖縄にも琉球漆器、紅型、花織を始め16品目あり、東京、京都に続いて新潟と並ぶ3位となっていますが、この数字は行政が指定したものであり、canosaは伝統工芸という定義に囚われずに、独自の視点と解釈で商品をセレクトしています。

 

 しかし工芸の世界は衰退の一途を辿っています。現代の生活では工芸品がなくとも生きていけます。百均で何でも揃う時代です。手入れやデリケートな扱いが求められ、百均のように気軽に買える値段ではない工芸品がなくても不自由なく生活出来るのです。手作りする他に手段がなかった江戸時代ではないのです。だからこそ「今の工芸品」は百均にはない存在感と、使いやすさ、生活に彩りを与える華やかさが求められているのだと思います。もちろん工芸品も時代と共に変わっていかなければなりません。生活様式が変わっていくのですから、それに合わせた使い勝手が必要です。伝統を守っていくことも大切ですが、同じくらい進化していくことが必要なのです。それが出来ないものは、衰退していくのも致し方ないことだとも思います。

 

canosaでは県外の工芸品が全商品の5割近くを構成しています。沖縄のモノだけでなく全国から工芸品を集めているのは、全ての日本の「工芸品」には繋がりがあると考えるからです。例えば、沖縄の焼き物には「壺屋焼」と「読谷山焼」があります。「壺屋焼」と「読谷山焼」には定義がありますが、「やちむん」は「焼き物」の方言であり、沖縄の焼き物は全て「やちむん」と言えます。沖縄の「やちむん」作家さんには県外出身者も多く、京都や益子、美濃や瀬戸で修業された方も多く、従来にはなかった「新しいやちむん」を作る作家さんも増えています。歴史を遡れば、沖縄初の人間国宝である「金城次郎」氏は、沖縄に訪れた民藝運動の中心人物である柳宗悦氏の影響を多分に受けたと言いますし、同じ民藝運動の中心的な活動家の一人であり、益子焼の中興の祖となった濱田庄司氏は「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と述懐しています。工芸品は日本全国を繋げて繋がっているのです。canosaもその繋がりの輪にいたいと願っています。

 

旅行先でその土地の工芸品を買い求めるのは、旅の楽しい目的でもあります。日本にはその土地その土地で育まれた工芸品に溢れています。地場産業までその視点を拡げていくと、地元の人でさえ見えなかった歴史や風土に思いを馳せることが出来ます。沖縄にいても、信楽や丹波の器を使う時、いつでも信楽や丹波の美しい里山を空想することが出来ますし、桐生の刺繍ネックレスや五泉市のニットを着用すれば日本の歴史を感じることが出来るのです。沖縄の月桃やアダンで編んだバッグを持つときは、その長い工程と作家の技術に畏敬の念を抱き、大切に使ううちにそれらが「育っていく」過程を楽しむことも出来ます。百均では歴史や風土を感じることは出来ませんし、経年劣化を楽しむことも出来ません。これは生活の「質」に影響する事だとも思うのです。

 

値段の「高い」「安い」は主観的なものです。その金額も人によって変わります。しかし工芸品の価格を主観で判断してはいけません。ワークショップで藍染め、木工、機織、紅型、焼き物、何でも体験してみればわかります。自分で何日も掛けて作ったものは数万円でも売りたくないはずです。技術、経験、風土、歴史に培われた工芸品はお金で買える「奇跡」だとcanosaは思います。

 

 日本人は長い間、「舶来品」に憧れてきました。いわゆる「ブランド品」です。しかし欧米では「日本の工芸品」こそがブランド品であり舶来品です。日本人も今でこそ自国に誇りを持ち、「日本製」の「工芸品」の価値を見直す時代ではないでしょうか。シャネルは町の帽子店、エルメスは馬具工房でしたが、時代の変化をいち早く察知し成功を収めて来ました。工芸品も伝統技術を継承しながらも、時代の波に抗う事なく変化する事が求められているのだと思います。

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