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バブリーダンスな時代

2024年3月16日

多くの人はその実感や恩恵はないと思いますが、先日株価が史上最高値を記録しました。それまでの過去最高値は1989年の大納会の3万8915円。バブルの真っ只中で日本中が浮かれている時代でした。自分は金銭的に全くバブルとは関係なかったのですが、訳も分からず雰囲気に浮かれていたクチです。


当時ハマっていたのは「ディスコ」。バブル真っ盛りの1986~88年は有楽町の「RADIO CITY」、その後は青山のKing&Queenや銀座のクラブ(当時7~8件あったと思う)や六本木のJ Trip Barなど週末ごとに徘徊していました。「花金」という言葉が流行ったのもこの頃ではなかったでしょうか。金曜日にまっすぐ家に帰るのは「負け組」的な空気感があり、会社の同僚や友人と集まっては深夜まで騒いでいる、「バブルにノセられた非バブル野郎」だったのです。


当時勤めていた外資系のクーリエ会社から有名ブランド会社に転職したのもこの頃です。今では考えられませんが、当時RADIO CITYでは入場する際に「黒服」による名刺チェックが当たり前のように行われていました。「外資系」とは聞こえがいいですが、当時「クーリエ」という言葉の意味を知っているのは関係者だけの時代ですから、会社の名刺を出すことに引け目を感じていました。会社の規模や知名度によって入場できないということはないのですが、銀行や証券会社、広告代理店の名刺が幅を利かせていた時代です。


しかし踊ってしまえば皆平等。後になるとお立ち台に上がれるのはレディだけになりましたが、この頃は男子も女子もお立ち台で踊れました。しかもRADIO CITYは盛り上がるとフロアの一部が上昇してステージのようになり、100人くらいの人間が落とされ落ちながらさらに盛り上がりました。やがてマハラジャやKING&QUEENが全盛になると、舞台は青山や麻布などに移り、スーツ姿だけでなく、アパレルや美容関係の人も目立つようになります。飲むビールも「ハイネケン」や「クアーズ」なんかが多かったのですが、当時よく一緒に踊った先輩は知らないビールを飲んでいて「カッコいいなあ」って憧れたものです。


ある日、確か青山のKING&QUEENだったと思いますが、先輩とクルマの話で盛り上がっていました。「やっぱマセラッティ・ビトゥルボだよなー」とか買えもしない車の話をしている最中もその先輩は例のビールを飲んでいます。「そのビール美味しいですか?」と聞く自分に、「おう、旨いよ。おごるから2つ取って来てよ。」と先輩は言いました。「何ていうビールですか」と聞くと「ツボルグ、ツボで通じるよ」と教えてくれました。そして自分は何を思ったかバーカウンターで「ビトッ! 2つ!」と言うと、黒服は「はあ?」と言う感じで「何?」と聞き返します。自分はもう一度「ビトゥ! 2ッ!」と言うと、面白そうに他の黒服達も集まってきました。ボディコンのギャルたちも注目する中、黒服はデッかい業務用の冷蔵庫を全部開けて全てのビールを見せてくれました。「あっ、それそれ」と指さすと、「なんだツボね」と笑いながら栓を開けて二つ差し出しました。「ビトゥルボ」と「ツボルグ」がごっちゃになってしまったのです。


それ以来青山のその店には行けなくなってしまったので、東京の仲間と横浜の自分に便利な川崎のKING&QUEENに頻繁に行くようになります。その時自分は誰でも知っているブランドの会社に勤務していて、その先輩はことあるごとに「こいつXXに勤めてるから、ファミリーセールのチケットとかまわすよ」と代わりに言って黒服を取り込むことに成功した結果、VIPルームとかに入れるようになりバブル気分を味わったりしていました。古き良き時代です。

 

その後ユーロビートが廃れ、ディスコがクラブになると盛り上がることも少なくなり、代わりに当時増えてきた「カラオケ」に行くようになりました。それまではスナックやカラオケパブのようなところで知らない人の下手な歌を聞かされ辟易していましたが、好きな歌を好きなだけ歌えるカラオケは画期的でした。

 

その後、勤務していた恵比寿と渋谷の間に「fula」というクラブが出きて、一時期かなり出入りしましたが、全盛期の勢いはなくあっという間に廃れてしまいました。

 

今ではカラオケもディスコもクラブも行くことはないですが、同年代なら誰もが「黄金時代」と懐かしむ時代ではないでしょうか。スマホやゲームに熱中する今の時代より、健全でアホで微笑ましい時代だったように思えます。今は株価が上がってもバブルの盛り上がりはなく、みんな冷静ですよね。もう一度くらい「バブル」な時代が到来しないかなあ、と思ったりもします。

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