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2026年2月18日
冬季五輪が大詰めを迎えている。年々新しい記録が打ち立てられ、人間とはどこまで進化するのだろうと感心させられるばかりだ。現地に行かずともこれほどの感動を味わえるのだから、選手たちには勝敗に関係なく、その健闘を称え、ただ感謝するしかない。
一方で、SNSでの選手への誹謗中傷が問題になっているらしい。選手たちは確かに「国の代表」ではあるが、果たして我々一般市民が、自分たちの代表者であるかのように責任を背負わせることは筋が通っているのだろうか。
一流選手の多くは、強い責任感から「国のために」と口にする。しかし彼らは、人生を、あるいは命を懸けるほどの覚悟で戦い、この舞台に立っている。常人には計り知れない過酷なトレーニングと節制を重ねても、本番で持てる力を完全に発揮することは難しい。
思い通りの結果にならなかったからといって、安全な場所から観戦している者が、何の努力もなく言葉を投げつける。その無責任さについて、私たちは一度立ち止まって考える必要があるのではないだろうか。
そもそも、我々が熱狂するのは本当に選手のためだろうか。無意識のうちに「自分が気持ちよくなりたい」「日本人であることに誇りを感じたい」という、自分自身の満足のための情熱になってはいないだろうか。結果が出なければ関心を失い、今度はWBCで一喜一憂する――そんな側面がないとは言い切れない。
選手は違う。四年間、あるいは一生を懸けた努力が形にならなかった悔しさのただ中にいる。その心を、外野からの軽率な言葉でさらに傷つけることがあってはならない。そして、その資格を持つ者は我々ではないはずだ。
私たちもまた、それぞれの場所で何かの「代表」として生きている。会社の名を背負い、家族の期待を背負い、ときに自分自身の理想を背負って働いている。立場が変われば、その重圧や孤独は決して他人事ではない。
国の代表である前に、彼らは一人の人間である。まずは自分自身のために戦っている。そのひたむきな姿勢は、スポーツに限らず、私たちの日々の仕事にも通じるものではないだろうか。
その当たり前の事実を忘れずに、結果だけでなく、すべての過程と覚悟にこそ敬意を払える社会でありたい。


