• hiroyukikira

3月11日

11年前、ショッキングな映像を沖縄の事務所で見ていた。

同時に釜石に赴任していた弟の安否を確認していたが、連絡がつかない。

横浜に住む両親には「大丈夫だよ、逃げてるよ」と宥めたが、正直、町々を飲み込む津波を見て、助からないかも知れないな、と思った。


2日間繋がらない電話を掛け続け、伝言ダイヤルにメッセージを残したりしたが、入ってくるニュースは絶望的な内容ばかりで、釜石に行ってみるかと思った3日目に、母が泣きながら電話で『弟から連絡があった』と教えてくれた。


3階建ての社屋に逃げて助かったらしい。

買ったばかりのプリウスで裏山に逃げることも考えたらしいが、一緒にいた同僚が直ぐに屋上に上がる判断をして命拾いしたとのことだった。

屋上で寒さに耐えながら一夜を過ごし、津波が引いたあとも恐ろしくてしばらく屋上から降りられなかったらしい。会社どころか町全体が滅茶苦茶になり、携帯も電話も使えず、2時間歩いて家に帰って呆然としていたらしい。

後日、数キロ先で流されたプリウスが見つかったと聞いた。


その前年に東北を旅して釜石にも立ち寄っていた。

津波の翌年にも母を連れて三陸の複雑な海岸線を走ったが、海の穏やかさと美しさは変わっていなかった。変わったのは海岸線の町がすっかり消えて、高台の方にぽつぽつ新しい家屋が建設中だったことだ。


11年。被害を受けなかった自分らは何をして来ただろうか。

これからでも遅くはない。東北の復興はこれからが本番だ。



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